4-2『陸士かくれんぼ』
・登場人物案内
多気投 高壱 ……… 支援A
唐児 頂 ……… 隊員D
長沼 伝吉 ……… 補給
『敵は約200名から250名程の二個中隊規模、隊列を組んで谷に向って来る。該当の傭兵隊と見て間違いないと思われる』
谷の入口にいる河義三曹が、現われた傭兵隊の同行を知らせて来る。
河義の報告は無線機によって、谷に配置した全ての部隊に伝わっていた。
自由等も塹壕内に置かれた無線機で、流れてくる通信内容を聞いている。
『河義三曹、ジャンカーL1長沼だ。逐一報告してくれ』
『了解』
無線に長沼二曹の声が入り、河義はその指示を受諾する。
後方に自由等のいる塹壕と同形態の塹壕がある。
第1攻撃壕と呼ばれるその塹壕は指揮所を兼ね、長沼はそこから指揮を執っていた。
『L1より各隊へ、交戦準備に入れ』
長沼から無線越しに、全隊へ指示が下った。
「お前等、準備しろ」
通信に耳を傾けていた自由が指示を出した。
「あ！」
そして同時に、出倉が声を上げる。
出倉が巻き返し、良い勝負になりかけていたバックギャモンの板が、自由の手によって乱暴に折りたたまれたのだ。
板は近くに置いてあった背嚢に放り込まれる。
乱暴な動作のために、いくつかの駒が地面に零れ落ちたが、自由は構わずに無線機のハンドマイクを手に取り、通信を開いた。
「多気投、唐児、今のは聞いてたな？そっちは後どれくらいかかる？」
『あとちょっとだ、まてよボーイ』
無線の向こうの相手は多気投だ。
多気投と唐児の二名は現在、自由等の塹壕より西にある第11観測壕の手伝いに出向いていた。
「おぃ、いつまでかかってんだ。頼んだロクロクてき弾の予備弾と、暗視眼鏡の換えはどうなってんだよ？」
『少し待てっつってんだろ！観測壕の機銃がここに来て愚図りやがったんだ！
そんで交換のために、さっきまでここと迫撃砲陣地を駆けずり回ってたんだよ！』
竹泉の嫌味な問いかけに、唐児がイラついた声で返事を寄越す。
「ああそうかよ」
「しょうがねぇ。出倉、代わりにてき弾と暗視装置を受け取りに行け」
自由は出倉に、予備機材を受け取りに行くよう指示を出す。
「うまくやればあたしが勝てたかもしれないのにぃ……」
出倉はというと、嘆きながら塹壕内に散らばった、バックギャモンの駒を拾い集めていた。
「いいから早く行け！」
「あい……」
自由に後頭部を小突かれ、出倉は駒を集めるのを中断し、塹壕とシートの隙間から這い出て行った。
出倉が出て行くと同時に、再び無線機から河義の声が聞こえてきた。
『各隊へ、敵の集団が谷の少し手前で止まった』
『こちらに気付かれたのか？』
河義の報告に長沼が返す。
『分かりません。停止しただけで、それ以外の動きは無いのでなんとも』
河義は淡々とした口調で入口の様子を伝えてくる。
『待った……なんだあれ……？』
が、次の瞬間、河義の声色が変わった。
『どうした？』
『隊列の前側で何か赤く光ってる。松明の類じゃない……まるで発光ダイオードみたいな……』
『発光ダイオードだ？』
河義の言葉に長沼が怪訝な声を上げる。
『そうです。ダイオードの光みたいな赤い発光体が、隊列の真上にが浮かび上がって……、野郎……！谷へ、そちらへ向って行きます！』
『ッ！上空から偵察するつもりか？』
河義のさらなる報告で、長沼は発光体の正体に察しをつけ、声色を換える。
『かもしれませんが、最悪攻撃の可能性もあります！ともかく対応を！』
『各隊、聞こえていたか？上空より偵察、もしくは攻撃の類と思われる赤い発光体が接近中。身を隠してやり過ごせ！』
「マジかよ」
長沼からの指示に、無線に耳を傾けていた竹泉が悪態を吐く。
「剱、竹泉、機銃を隠せ」
「あぁ、糞」
剱と竹泉は、外部へ銃身を突き出していた九二式重機と12.7mm重機関銃をそれぞれ塹壕内へと引き込む。
「出倉、今どこだ？」
自由は無線を出て行った出倉へと繋ぐ。
『第11観測壕とそっちの真ん中くらいです！』
「今のは聞いてたな？適当な所に隠れろ！」
『適当な場所って！？』
「岩の影でも草むらでも何でもいい！どっかに身を隠せ！」
『は、はい！』
出倉の返事を聞き届けてから自由は無線を切った。
「出倉のやつ、見つからなきゃいいが」
機関銃を引き込み終え、自分の小銃を確認しながら剱は呟く。
「人のことよりこっちの心配をしたらどうだぁ？隠れろと言ったってよ、谷全体をスキャニングとかするような
シロモンだったらどうすんだよ？隠蔽も意味をなさねぇぞ？」
「そんときゃ、ドンパチが早まるだけだ」
喚く竹泉に、自由が一言簡潔に答えた。
そしてほんの数十秒後。谷の上空、自由等の第2攻撃壕から数百メートル先に、赤い発光体が表れた。
「なんだありゃ、気色悪ぃ」
竹泉は、機関銃の銃身を突き出していた隙間から、谷の上空に視線を向けている。
谷間に沿って接近して来る赤い発光体は、夜闇と雨で視界の悪い状況でも、肉眼ではっきりと見えた。
「………」
壕内の皆が声を殺す中、発光体は塹壕の直上に到達する。
そして、発光体は特に目立った動きを見せることも無く、壕の上を通り過ぎて行ってしまった。
「行っちまった」
「はぁ……」
安堵の声を漏らす鳳藤。
「安心すんのは早ぇんじゃねぇかぁ？ばれてる可能性もあるんだぞ」
「ッ、分かってる」
会話する二人を尻目に、自由は無線を繋ぐ。
「ジャンカーL1、聞こえますか？こちらL2。発光体はこちらの上空を通過。おそらく数十秒後にはそっちに到達します」
『了解。そちらも引き続き警戒は怠るな』
「………」
一方、長沼等のいる第1攻撃壕でも、長沼を始とする隊員等が塹壕内で息を潜めていた。
長沼は機関銃用の隙間から上空に視線を向けている。
「来た」
一言発する長沼。
自由からの無線連絡を受けてから十数秒後。
第1攻撃壕の長沼等の視線の先に、赤い発光体が現われた。
「………通り過ぎて行くな」
発光体は速度も動きも大きく換えることは無く、第1攻撃壕の直上をやや逸れる形で上空を通過した。
そして、そのまま塹壕から遠ざかっていくかと思われた。
「待った。発光体、戻ってきます」
「何？」
しかし、監視を行っていた隊員が報告の声を上げた。
発光体は第1攻撃壕からさらに100メートル程飛行した地点で、大きく旋回して反転した。
そして第1攻撃壕の対岸の丘に沿って、谷を戻って行く。
「チッ、しつこいな。各隊、発光体は反転して谷の入口向けて飛行中、警戒を続行せよ」
長沼は無線で全部隊に警戒続行の旨を伝えた。
「なんでまた来るんだよ、糞が」
竹泉が悪態を吐きながら、外の監視を続けている。
長沼の無線での警告から十数秒後、谷を沿って戻って来た発光体は、再び第2攻撃壕の上空に姿を現していた。
先ほど同様の動きで第2攻撃壕を通過、塹壕から数十メートル発光体は消滅した。
「消えやがった」
「各隊、こちらジャンカーL2。発光体は第2攻撃壕上空で消滅した」
自由は発光体が消滅した事を全部隊に知らせる。
『了解L2。河義、発光体は消えたそうだが、そっちに動きは？』
発光体消滅の報告を受けた長沼は、河義に傭兵隊の動きをたずねる。
『河義です。隊列に動きがありました……隊列が陣形を組み直し出してます』
『今ので発見されたか……？』
『まだ分かりません、もう少し見てみない事には』
少しの沈黙の後に、再度河義からの通信が来る。
『隊列が動き出しました。ただ全部じゃありません、二手に分かれました。隊列の前半分だけが前進を始めて、残り半分は以前停止中』
『半分だけ？』
『はい……待った、こちら側の丘にも数名上がってきた。およそ7〜8名』
『大丈夫か？』
『待って下さい……大丈夫です、我々のいる場所からは逸れて行きます』
『そうか。しかし……丘にも兵が上がってきたとなると、やはり我々の待ち伏せに気付かれたか？』
『いえ、にしては丘に上げた部隊の規模が小さすぎる気がします。
こちらを把握しているのなら、もっと多くの人数を割くはずではないでしょうか？』
河義は長沼に具申する。
『なにより連中の動きなんですが、先行した傭兵隊の人間と、上がってきた数名の斥候。どちらも周囲にしきりに視線を向けながら進んでいきます。
明確な目標に対して行動しているようには見えません。
さっきの発光体に発見された可能性も捨て切れませんが、まだ警戒してるだけの可能性が大です』
『そうか……だが、どちらにせよこのままだと、丘にあがってきた斥候が第2攻撃壕とぶつかるな……』
長沼の声には微かな苦々しさが感じられた。
事前に立てられた計画では、1、2両攻撃壕、11、21両観測壕のすべての塹壕の射程圏内となる、谷の中心地点まで敵を引き込み、
四方から傭兵隊へ集中攻撃を浴びせる手はずとなっていた。
だが、丘に上がってきた斥候が自由等の第2攻撃壕と接触し、その存在に気付けば、必然そこで戦闘が発生し、後ろの第1攻撃壕と第11観測壕は遊兵となってしまう。
「長沼二曹は配置をミスったな」
無線から流れるやり取りを聞いていた竹泉が、皮肉な口調で一言言った。
『L2』
そこに、長沼から自由等への呼びかけが入った。
「はい、こちらL2」
『今の通信は聞いてたか？そちらに斥候が数名行っている。今からそこを撤収して、第1攻撃壕まで下がれるか？』
「時間的に少し厳しいかと。それより、俺等が連中をやり過ごすのはどうです？」
自由は長沼に意見具申する。
『できるのか？確かにそれならば予定道理敵を四方から包囲できる。だが危険を伴うぞ？』
「試してみる価値はあるでしょう」
自由の言葉に、長沼は思考のためしばし沈黙したが、十数秒してから返答を寄越した。
『すまん。判断は任せる、無理なら交戦して身を守れ』
「L2、了解」
進言の許可を聞き、自由は無線通信を終えた。
「聞いたな。敵の斥候がこっちに接近してるが、これをやり過ごすぞ」
「マジかよ、こっちに皺よせが来やがった」
「万が一に備えて、接近戦の準備をしておけ」
自由は竹泉の愚痴を聞き流し、指示を下す。
「おい、本気でやろうってのか？塹壕は一応擬装してあるが、完璧とはいえねーんだぞ」
「暗闇とこの天候だ。可能性はある。それに、やろうがやるまいがその先のドンパチは避けられんぞ」
食い下がって発言する竹泉を解きながら、自由は無線を手にする。
「出倉、今どこだ？」
『第11観測壕に着きました、唐児さん達と一緒です』
「通信は聞いてたか？こっちは今から敵の斥候をやり過ごす、やり過ごした斥候は、下の本隊に合わせて第11観測壕の矢面まで行くはずだ。
第11観測壕の連中がそれ片付けるまで、お前もそこにいろ」
『もし、そっちで戦闘になった場合は？』
「俺等だけでなんとかする、とにかくこっちが片付くまでそこから動くな」
『分かりました』
自由は通信を切り、自身の小銃を手に取った。
それから数分が経過。
「おい。来たぜ」
竹泉は暗視眼鏡越しに、隙間から外を覗いていた竹泉が発した。
「見えてる」
それに返答する自由。
視線の先、塹壕より100メートルと少し先に、ユラユラとゆれる複数の光源が見える。
先ほどの発光体とは違う自然な光りかた、そして光によってぼんやりと浮かび上がる複数のシルエット。
斥候の傭兵達と、傭兵達がそれぞれ持つ松明の明かりだった。
「数は……7名か。ばらけてるな」
剱が呟く。
接近して来る人影は、散らばって塹壕に向って歩いてくる。
「右側の四名は壕から逸れるだろう。だが左の三名はこっちに来るな」
自由は人影を追いつつ、傭兵の進路を予測していた。
傭兵達は警戒しながら徐々に近づいて来る。
しかし彼等の警戒心は、明確に塹壕の方向に向けられているわけではなかった。
「周辺を広く警戒してるように見えるな」
「俺等には気付いてねぇ。たぶん、もっとでかい部隊の潜伏を警戒してんだ」
やがて傭兵は塹壕の間近まで迫って来た。
「来たぞ」
自由等は息を殺す。
一番先頭の傭兵、そしてそれに続く二人目は、塹壕より10メートル程横を通り過ぎた。
そして三人目の傭兵が塹壕のすぐ側まで接近する。
(………)
その傭兵は、塹壕の真横ギリギリを通過して行った。
「はぁ……」
「まだいるぞ、気ぃ抜くな」
自由が安堵の息を吐いた剱を咎めた。
塹壕には、さらに二人の傭兵が接近する。
二人の傭兵は、塹壕から大分離れたところを通過していった。
そして、六人目の傭兵が塹壕に向けて歩いてくる。
(やばいぞ)
六人目の傭兵の進路は、塹壕にそのままぶつかる物だった。
傭兵は歩みのリズムは変わらず、塹壕の直前まで迫る。
(……ッ！)
六人目の傭兵の歩幅は大きく、傭兵は塹壕の真上を跳び越え、そのまま離れていった。
(……よかった)
(勘弁願いたいね、糞！)
剱、竹泉は心の中で各々の感想を吐き出した。
(あと一人だ……)
最後の傭兵が塹壕の前まで接近する。
この傭兵が塹壕に気付かずにそのまま通り過ぎてくれれば、この場は万事解決だ。
だが、
(！)
剱は傭兵の足の歩幅に気付く。
傭兵の歩幅から見るに、彼の足はそのまま擬装されたシートに踏み込むコースだ。
(まず――)
まずい、と思いかけた剱。
が、
「――ごぷ…ッ！？」
次の瞬間、剱の頭部を鈍い衝撃が襲った。
なんと、傭兵は丁度、シートの真下に位置していた鳳藤の頭を踏みつけたのだ。
鉄帽越しに人の体重を感じ、剱は声を上げかけた。
「バカ」
自由は声を上げそうになった剱の口を左手で塞ぎ、同時に右手で首根っこを掴み、剱の頭を強引に固定させた。
「ふも……」
口をふさがれ、剱は傭兵の体重を頭と首周りに感じながら、くぐもった声を上げる。
「ん……？」
一方の傭兵は、足裏の感覚を不思議に思ったのか、足元に視線を落とした。
「竹泉」
「チッ」
傭兵が足元を不審に思った事は、傭兵の上げた声と気配により、自由等にも分かった。
自由は顎をしゃくり、竹泉に合図を送る。竹泉は狭い塹壕内で、小銃をほぼ真上に向けて構えた。
傭兵がこちらを完全に認識した瞬間、シート越しに彼を射殺できるように。
「うわッ！？」
だがその時、声と土砂がこすれるような音が、塹壕の後方で上がった。
「どうした？」
そして傭兵の注意が逸れ、傭兵はそちらへと駆けて行く。
傭兵が塹壕の上から立ち去ったことにより、剱は傭兵の重量から解放された。
「大丈夫か？」
「すまん……ぬかるみに足を取られた」
「気をつけろ、このあたりは地面の状態が特に悪いみたいだ」
声と音の主は、先ほど塹壕を跨いで行った六人目の傭兵だった。
塹壕を越えて進んだ先で転倒したようだ。
「急ごう、他の連中に置いてかれる」
「ああ」
少しの会話の後、傭兵達は塹壕から離れていった。
「………行ったか」
傭兵の気配が完全に消えるのを待ち、剱から手を離す。
「ぶはッ！何すんだ、クソ！」
口を解放された剱は、酸欠で赤くなった顔をしかめて文句を言う。
「ばれなくてよかっただろ。竹泉、周囲を確認しろ。慎重にな」
だが自由はシレッと一言だけ言い、竹泉に指示を送った。
「何で私がこんな目に……」
剱は自分の首周りをさすりながら、不服そうに呟いた。
「周囲からは捌けたみてぇだ」
竹泉はシートを少しだけ持ち上げ、周囲を見渡し、傭兵が塹壕の近辺からいなくなった事を確認した。
「L1、こちらL2。敵の斥候はやり過ごした」
自由は無線で、長沼に傭兵をやり過ごした事を報告した。